家庭教師体験記。中学3年生女子
あこがれの近所の高校にやっと合格。
勉強するたびに分からないところが増えていました
指導期間6ヶ月高校受験対策コース
制服がかわいく倍率も毎年県内1位の公立高校。推薦入試で「家の帰り方を答えられず」不合格。
私は、もし行くのなら近くの公立S高校がいいなあと思っていました。理由は制服がかわいくて、お母さんからも頭が良く・月謝も安くて・評判のいい学校なんだよと聞いていたからです。
でも吹奏楽部に入っていて土日も練習が忙しく、勉強まで気がまわりませんでした。演奏会の2週間位前は本番で間違えないように、もう必死になって練習していました。とにかく勉強は「3年生になってからやればなんとかなるのだろう」と思っていたから、テスト前だけ勉強して5教科の成績は3から4くらいでした。「これではS高校は難しいかもしれないな。」と心の中で少し思っていました。
そして3年生になり、夏休みはちゃんと受験勉強しようと思い、いざ机に向かっても、分からない問題はどんなに考えても答えがでないのです。「どうしよう、高校にいけないかもしれない。」と思い始めました。そこで両親に相談したところ、家庭教師はどうかという話になりました。
私は最初、家庭教師は嫌でした。先生と1対1なので、私がどれだけ勉強できないのか知られるのが嫌だったからです。きっと出来ない生徒だと思われて、変な顔されるのだと思いました。私は先生に変な顔をされないように、分からないということを言わないようにしました。すると翔子先生が「もしかしたら分からないことを隠してるんじゃないの?」とやさしく言われてビックリしました。「もしそうなら今日教えたことを宿題に出した時、問題解けないし、また勉強がつまらなくなっちゃうんだよ。分からないことを分からないって言うのは恥ずかしいことじゃないよ。先生だって麻子ちゃんと同じ中3の頃、たくさん分からないことあって困ってたんだよ。」と言ってくれました。それから私は分からないことを「分からない」と気軽にいえるようになりました。分からないって言うことは思っているよりも恥ずかしくありませんでした。聞くと先生はうれしそうに教えてくれます。どうしてもっと早く言わなかったのだろうと、少しだけ反省しました。
そして10月の校外テストでS高校がDからB判定に上がってとてもうれしかったです。2学期の成績も初めてオール5を取れました。本当です。お母さんも成績表を見てビックリしていました。それから受験までは今思うと、あっという間に過ぎてしまったような気がします。
私は公立高校入試の推薦面接で「学校から家までの帰り方」を答えられず不合格になり、先生が来た日に思いっきり泣いてしまいました。その時、翔子先生から大学に落ちた時の話を聞きました。2浪してとてもつらかったことや今大学生になってとっても楽しいし充実しているということを。先生と話していて気持ちが楽になったし、私もオール5を取って周りからほめられ、「私は大丈夫」と少し浮かれていたような気がします。「最後だからもう少しだけがんばろう」という言葉に励まされて「もう少しがんばってみよう」という気が出てきました。また教務のM先生から「受かる落ちるは問題じゃないよ。麻子ちゃんが残り3週間、どれだけ頑張ったか頑張らなかったか?が大事なんだよ。お母さんもお父さんも先生も麻子ちゃんが頑張っている姿をみたいだけなんだよ。」という言葉にも気が楽になりました。
そしてやっと高校に合格することが出来ました。今度は少し遊んだら大学受験に向けて、少しずつ勉強していきたいと思っています。また困ったら先生に来てもらおうと思っています。翔子先生、ありがとうございました。